キャスティング(10)
うっかりすると、何が事実で、どこからが物語なのか、区別がつかなくなるような話だった。
英樹は要領よくぼくに補足説明してくれた。
エイダ・ラブレスは、実在した女性で、バイロン男爵こと19世紀の詩人ジョージ・ゴードン・バイロンの実の娘だった。
そして、エイダはアマチュアの数学者でもあった。貴族階級の生まれから高度な教育を受ける事が出来た彼女の数学教師が、世界で初めてプログラムが可能な計算機を考案したチャールズ・バベッジだった。
彼は、1822年、王立天文学会に「天文暦と数表の計算への機械の適用に関する覚え書き」と題する論文を提出した。
このために仮想された計算機こそ、「階差機関、ディファレンス・エンジン(difference engine)」である。
バベッジはさらに汎用的で複雑な、「解析機関、ディファレンシャル・アナライザー(differential analyser)」を構想した。「アナライザー」はパンチカードでプログラムを組むことができた。
バベッジの教え子であり、豊穣な資本を備えたエイダは、この装置に対するバベッジ自身による講演の英語版を翻訳することになる。
その本には膨大な訳注があり、アナライザー用プログラムのコードも掲載されていた。プログラムは翻訳者であるエイダが、バベッジの指導のもとに作成したもの、と考えられている。
これが後に「世界初のコンピュータプログラム」と呼ばれたものだ。
それに、エイダは、ゴシック小説『フランケンシュタイン』の作者メアリー・シェリーの親友でもある。
有名な「ディオダティ荘の怪奇談義」が行われたのは、スイス、レマン湖畔に詩人バイロン男爵の別荘だ。
そこで5人の男女が集まり、それぞれが創作した怪奇譚を披露しあった。
この怪奇談義から発展して生まれた物語が『フランケンシュタイン』と『吸血鬼』だ。
キャスティング(9)
そんなわけで、かなり打ちひしがれて、ようやく機織工場に戻った時には、廊下に沿って干された「鯉のぼり」が僕を出迎えてくれた。鯉というより役目を終えて水面に漂っているオスの鮭のようだったが。
女子どもに、こんな風にされるのは君だけじゃないのさ、と僕を慰めているように見えた。
これら僕の一連のドタバタぶりの間にも、英樹は一人で、僕たち二人分の映画のスクリプトをすっかりまとめ上げていたようだった。そろばん教室の長テーブルには、きちんと並べられた原稿用紙が積み重ねられていて、今はどうやらページを振る作業をしていたらしい。
僕の気配で原稿用紙から顔を上げて、「ずいぶん長風呂じゃないか?」と言いながら僕の顔を見すると眉を寄せた。
「なんとまあ。大脱走に失敗した鉄条網みたいな顔をしてるぜ。」
マックイーンにはとても見えない、と言いたかったらしい。しかし笑う気にもならなかった。
ともかく経緯を説明すると、複雑な顔をして
(必死に笑うのを堪えているに違いなかったが)「まあ、タイミングが悪かったね。」と言った。
「冷静になって考えてみれば、君が何か酷いことをしたわけじゃないんだし。
ちょっと驚かせてしまっただけだろ。
"ミス甲府南"の誤解も解けるさ。」
僕は彼のまとめた原稿用紙を覗き込んだ。
「ねじ巻人形の冒険、だ。」
英樹はそんな僕の視線を追って、その題名を読み上げた。
「この題名もなんとかしないと「ピノキオ」と混同されるだろうな。『人形』が『人間』になるためには、まず老いて朽ち果てる細胞が必要だ。これはモラルや理想や万能性を求める話ではなくその逆だ。言わば、”世界一遅いコンピュータ”の開発物語だ。」
英樹はその原稿用紙の束を見下ろしながら少し興奮した様子でそう言った。彼にしては珍しい。
それからふいに、何か思い出したように、また顔を上げて僕を見た。
「あの魔王の呪文の正体がわかったよ。やはりコンピュータ言語だった。」
"魔王の呪文"は、以前に英樹がメモしていた原作のアルファベットと数式が並んでい書かれていた部分のことだ。
目白依子が書いた"魔王の呪文”。
「しかも凄い言語だ。"エイダ”というやつだった。」
「エイダ?」
英樹は小さくうなずいた。
「エイダ。A・d・a。 それが、その言語の名称だよ。
エイダ・ラブレスという世界最初のプログラマーから取った名前だ。」
「人の名前から取ったのか?」
僕は重ねて聞いた。コンピュータ言語というえば、「C」とか「B」とか、単純なアルファベットの識別子のような名前がつくものだと思っていたからだ。
「世界最初の、女性プログラマーの名前から取ったんだ。エイダ・ラブレスは、19世紀に機械式計算機のためのプログラムを書いた。そして詩人のバイロン男爵の一人娘だった。」
「バイロン男爵?、・・・聞いたことがあるな。」
英樹はあきれたような顔をした。
「『フランケンシュタインの花嫁』で最初に出てくる怪奇談義の舞台がバイロンの城だよ。その怪奇談義から、フランケンシュタインも、吸血鬼も生まれたのは有名な話だから知っているだろう。バイロン男爵は「吸血鬼」の生みの親だ。その娘が、エイダ・ラブレスというわけさ。」
「吸血鬼の娘の名前なのか。」
「詩人の娘だ。まあ似たようなもんだが。」
英樹は説明を続けた。
「コンピュータ言語の ”エイダ”は1979年に開発された。
勿論、世界最初のプログラマーに敬意を払ってその名前がつけられた。
言語開発の旗を振ったのは米国国防総省だ。
目的は兵器の開発だったからだ。
そのために、”エイダ”は強力な言語機能を持っている。」
「原作に出てくる"生け捕りにした森の者の目"は、どう考えたって特殊部隊のことだろう。
"階差機関"は19世紀のエイダがプログラムを書いた機械式計算機の名称だよ。
残念ながら当時の技術では完成はしなかったけどね。
現代風に言えばペンタゴンの作戦指令本部を仕切るスーパーコンピュータと言ったところだ。」
キャスティング(8)
緒方里美を連れてきた佐藤一馬の車は、彼女を下ろすと、すぐに走り去っていったようだ。
車をどこかに停めてくるためなのか、ただ彼女を送り届けただけで帰ったのか、それとも佐藤一馬の実家はこの近くで一旦引き上げただけなのか。詳しいことは分からない。
僕もそこで、一刻も早く工場へ戻りたかったが、別の事も考えていた。
それは、まだ5月に入ったばかりだと言うのに佐藤一馬が車の運転免許を早々と取得しており、軽自動車とはいえ自由に出来る車を持っているらしい、ということだった。これは記憶しておくべきだ。
移動に車が使えることで、どれだけ映画撮影が楽になることか。ここ数日間の、連休中の簡単な屋外撮影実験で、それは僕が心底感じていた事だった。
もちろん僕も車の免許を取るつもりでいた。
けど僕の18歳の誕生日は8月だった。
仮にこの夏に撮影を行うのなら、時間的な余裕も経済的な余裕もなく、間に合わないかもしれなかった。
それに映画製作自体にだって莫大な資金が必要だ。
フィルム代、その現像代だけでも、高校生のお小遣い金額レベルで賄えるものではない。
生徒会後援というつながりで、もしあの車と制作資金がわずかでも手に入るなら、「生徒会」にも利用価値があるというものだ。
そんな事を考えているうちに、女の子達もとっくに母屋に引き上げていた。
さっさと機織工場へ移ればよかったのだが、身を潜めていた「離れのお風呂」側には母屋の勝手口があり、今、そのドアから矢島幸恵が出てきたものだから、僕はまた風呂場の脱衣場に身を隠すほかなかった。
矢島幸恵は勝手口から出てくると、裏庭への通路にある水道場のシンクの中から、何か丸いものを入れた篭を引っ張り上げた。
それは小さめだったがスイカのようだった。冷やすために置いていたのだろう。
5月にスイカか。ハウス栽培の高級品ということだ。もう少し夏まで待てば、ここら辺でも容易に安いスイカが手に入るだろうに、妙な贅沢をするものだ。
やがて、そのスイカを抱えて矢島幸恵は勝手口から戻っていった。
もう大丈夫だろう。
僕はその水道場を横切り、その先へ、機織工場を目指した。
母屋の台所らしい小窓があいていて、矢島幸恵の頭が見えた。
「でもヨリちゃん、すっかり元気になったね。」という言葉が聞こえて僕は足を止めた。
聞きなれない声だ。緒方里美らしい。「そう、ほんとに。」
「一時はどうなるかと思ったけどね。」そう答えたのは矢島幸恵だ。
さきほど引き上げたばかりのスイカを切っているらしい。
「今はちゃんと食べてるのよね?」
僕は思わず背中を丸めて、その小窓の下に身を寄せた。まるで立ち聞きのようだ。いや、この行為をしてまさに「立ち聞き」と言うのだった。
「果物なら大丈夫なのが分かったのよ。ほら、食べてて、幾ら噛んでも割と味が変わらないでしょう?、果物って。」
「味が変わると、だめなの」
「そうみたい。そうすると不協和音が鳴るんですって。その色も見えるのよね?。
・・・だから果物から、徐々に食べる練習をしたのよ。」
「うわ。大変だったね、それは。」
「まったくね。」矢島幸恵が感慨深げに呟いた。「もう、1年経ったんだよね。去年のあのお祭りから。」
やがてスイカを切り終わった矢島幸恵が小窓を閉めた。頭の上で閉まった音を聞くと僕はそっとその場を離れた。
僕はこうして目白依子の奇妙な秘密をまた1つ知ることになった。
なるほど。
それでこの時期にもうスイカなのか。
目白依子は果物だけを食べて生きていたらしい。
まるでカブト虫のような女だ。
しかし「味が変わると不協和音が鳴る。色も見える。」というのは一体何の事だ。
その時、僕の前に、その猫が現れた。年を取った太った三毛猫で、その背中の毛は年のせいか、ボロボロに抜けていた。
その猫が背中を丸め、目をらんらんと輝かせて、僕の行く手をふさいでいるのだった。
「フーッツ」と鼻息まで粗くなって興奮してる。獲物を見つけたような鋭い視線が正面から僕をまっすぐ見つめている。
なんだ?コイツは? 僕は気味悪くなって、ちょうど勝手口の前で立ち止ってしまった。
それがまずかった。
次の瞬間、猫は、すごい勢いで僕に飛びかかってきた。
犬ならともかく「猫に襲われる」のは生まれて初めての経験だったので、まったく度肝を抜かれてしまった。
あわてて身を丸めると、今度は凄い勢いで爪を立て、背中をよじ登ってくる。
それで、直ぐ脇の勝手口のドアが開く気配を感じると、何も考えずに中に駆け込んでしまっていた。
まるで鼠になったような気分だった。恐ろしいほどの凶暴さだ。
だが、本当に恐ろしいのはその後だった。
その勝手口のドアを開けたのは、なんと、目白依子だった。彼女も先ほどから台所に居たのに違いない。
そして、だぼだぼのシャツとステテコ姿で、背中に三毛猫を張り付けた男(僕のことだ)が、勝手口から飛び込んで来たのを見て、緒方里美はサイレンのような悲鳴を上げた。
その悲鳴に驚いて、猫は飛び去っていったのだが。
「最低。出歯亀野郎。」矢島幸恵が緒方里美を抱きかかえながら、僕を見てそう言った。
その簡潔で、あまりにショッキングな言葉に、僕はよろよろと後ずさった。
後ずさった僕の目の前で、するすると、勝手口のドアが閉じていった。
まるで舞台のカーテンが閉じる時のようだった。
僕のすぐ脇で、そのドアを閉める目白依子の口元に、
勝ち誇ったような笑いがうっすらと浮かんでいたのを、僕は見逃さなかった。
キャスティング(7)
僕が借りた風呂場は、矢島家の玄関脇にある農機具を収納している倉屋の裏庭側に、トタン板に囲われて備え付けられていた。
農作業の後でそこで汗を流す為に家族で古い風呂桶を運んで据え付けたらしい。
それで「離れのお風呂」と矢島幸恵はそんな風にそこを呼んだ。
屋根は波打った形のビニール板で簡単にしつらえていて、つなぎ目部分は破れ、そこからまだ陽が高い青空が見えた。
西部劇に出てくるような半屋外の風呂場だ。気分は荒野のガンマンと言ったところだ。
テンガロンハットを被ったまま湯につかり葉巻きでも吸いたい気分になってきた。
その裏庭を囲むように登る坂道を、今、軽自動車が1台通り過ぎたかと思うとスピードを落とし矢島家の正面へ廻っていった。
矢島家の車ではない。矢島家の車は軽トラだったはずだ。
やがてクラクションが1つなると車のドアが開閉する音が続いた。合図と同時に誰かが降りてきたのだろう。
「あら、サトミちゃん」と続いて表のほうで矢島幸恵の声が聞こえた。「まあ。カズマの車で来たのね。」
耳をすましていると「サトミちゃん!」と今度は目白依子の声も聞こえた。
どうやら知り合いの女の子がまた一人増えたらしかった。
そんなわけで表玄関では久しぶり再会のあいさつを交わす3人の声がしばらく飛び交っているようだ。
なにかイヤな予感がした。
ここは用心しなければならない。
自分がいつまでも裸でいるのはなんだか無防備だと思い、風呂からあがり、狭い脱衣場で、だぼだぼのシャッツと、やはりだぼだぼのステテコを身に付けた。どうやら矢島幸恵の兄のものらしい。
そうして、まるで夕涼みに現れた隠居老人のような、気が抜けたかっこうになると僕はこそこそと工場へ移動を開始した。
しかしその「離れの風呂場」から機織工場へ移るには母屋の表側に面した庭先を横切らなければならない。
ここから裏庭を抜けて行ったほうが、鉢合わせせずに機織工場へ移動できそうだ。
僕はステテコ姿のまま母屋の影にまたこそこそと身を隠した。
(いったい僕は何をやっているのか。)
「サトミちゃん」と呼ばれた訪問者は、緒方里美と言う名の、矢島幸恵が部長を務める女子バスケ部の仲間に違いなかった。
そうすると「カズマ」と呼ばれたのは、男子バスケ部部長で運動部代表の生徒会委員も務める佐藤一馬という名の同級生の男だろう。
一年の頃からアルバイトを繰り返し部活動とはまるきり縁が無かった僕のような生徒でも、学園祭でミス甲府南高校に選ばれ前夜祭のパレードに駆り出されていた女の子の名前ぐらいは憶えていたわけだ。そしてその公認の仲の彼氏の名前も。
キャスティング(6)
なぜ、僕は目白依子にこれほどまでの恨みを買わなければならないのか。
意識的に目白依子が僕に対して攻撃的であることは、もはや明らかのように思われた。
最初にあった時に頬にくらった強烈な平手打ちからして、今思い返してみれば確実に狙い澄ました一発だったような気がしてくる。
しかし、なぜだ。
相手が地元の同じ高校に通う矢島幸恵だとしたら、ふと生まれた誤解が巡り巡って曲解を生み、偏見を育て、結果として身に覚えのない恨みを買う、ということは有り得るかもしれない。
だが相手は遠く離れた東京で日常生活し、この5月の連休前までには会った事もない女の子だ。
夕べの祭りの夜に目白依子がふと見せた、煙草を吐き捨てた時の僕への蔑みの表情も忘れられなかった。
実はそれが一番こたえていた。あれは母が一番上の兄と家を出ていく時に、父に見せた最後の表情を思い出させた。
まあ、いずれの場合も今のところは結果はなんとなく無難な着地点で折り合ってはいる。
僕もわざわざこうして風呂まで貰って身体を伸ばせるとは思っていなかったので、結果オーライとし、先ほどのバケツ事件の真相はことさら騒ぎ立てる気にもならなかった。
いや、僕らが(徹夜までして)、目白依子の物語から起草した映画のスクリプトを一刻も早く仕上げたいという動機はそもそもなんだったのか。
正直なところ、僕らは彼女に、僕たちの映画制作に、この先も協力して貰いたかったのだ。
彼女からはすでに映画化の口承諾は得ていた。
その上、尚、そのスクリプトを示すことまでして2重に承認を受ける必要はないはずだった。
仮に、彼女の物語が出版された商品だったとしたらどうだったのだろう、と考えてみる。
むしろ、作者から映画化許可さえ貰えば、それ以上の原作者への干渉は避けていたのかもしれない。
けれどそうするには彼女の物語は個的過ぎた。作品だとか、小説だとか、そんな意識がない、といみじくも彼女自身が言ったように。
もちろん彼女の物語は私小説的と言うには過剰な虚構を持っていた。しかし一方で幻想小説と呼ぶほど周到な仕掛けに満ちた世界描写に固執しているわけでもなかった。
英樹が言ったように、それは「ただ淡々と記録された別の惑星の見聞録のようなもの」というのが一番近い気がした。
しかも物語は未完成だ。「ねじ巻人形」は、何者で、どこから生まれて、どこに向かうのか、それは寓話の流れというよりも彼女が経験した「何ごとか」の反映であり「何かの影のようなもの」としか呼び様のないものに思われた。
だから、それは僕たちだけでは解くことのできない謎のようなのものだ。迂闊に答えを与えてしまったら、とたんに陳腐な人魚姫物語のようなものになってしまうだろう。
それにしても、と、僕は湯気を上げている古い釜炊型の浴槽に身体を沈めながら考えた。
この先も彼女を平和的に映画製作に引き込めるうまい手立てはないものだろうか。
そこに誤解や偏見があるのならなんとか修正する方法はないものか。
このままでは彼女は東京に帰り、ここであった事など忘れてしまおうとするに違いない。人間になった後のねじ巻き人形のように。
キャスティング(5)
我にかえった時には、僕はタライに一杯の中性洗剤溶液にしゃがみ込んでいた。
背後のタライの中に尻もちをついたらしい。
おまけに頭からかけられた水のせいで全身ぐっしょりだった。
タライの中で、ホースからの水が止まったのが僕の尻の辺りの感触で分かった。
矢島幸恵があらわれて言った。
「まあ、どうした! どうした? いったい, ああー、ああ、あはは、あっ、あひゃひゃひゃひゃ」
僕を見下ろす目白依子は、いつの間にか顔のマスクを外していた。
「大丈夫。足がすべっただけで怪我はないみたい。」
と目白依子は答えた。
「まだ朝ですが、お風呂沸かしますか。」
まだ笑いがおさまらないまま涙目の矢島幸恵が言った。
「せっかく綺麗になったんだから。洗剤で。あはは、」