キャスティング(6)

なぜ、僕は目白依子にこれほどまでの恨みを買わなければならないのか。

意識的に目白依子が僕に対して攻撃的であることは、もはや明らかのように思われた。

最初にあった時に頬にくらった強烈な平手打ちからして、今思い返してみれば確実に狙い澄ました一発だったような気がしてくる。

しかし、なぜだ。

相手が地元の同じ高校に通う矢島幸恵だとしたら、ふと生まれた誤解が巡り巡って曲解を生み、偏見を育て、結果として身に覚えのない恨みを買う、ということは有り得るかもしれない。

だが相手は遠く離れた東京で日常生活し、この5月の連休前までには会った事もない女の子だ。

夕べの祭りの夜に目白依子がふと見せた、煙草を吐き捨てた時の僕への蔑みの表情も忘れられなかった。

実はそれが一番こたえていた。あれは母が一番上の兄と家を出ていく時に、父に見せた最後の表情を思い出させた。


まあ、いずれの場合も今のところは結果はなんとなく無難な着地点で折り合ってはいる。

僕もわざわざこうして風呂まで貰って身体を伸ばせるとは思っていなかったので、結果オーライとし、先ほどのバケツ事件の真相はことさら騒ぎ立てる気にもならなかった。

いや、僕らが(徹夜までして)、目白依子の物語から起草した映画のスクリプトを一刻も早く仕上げたいという動機はそもそもなんだったのか。

正直なところ、僕らは彼女に、僕たちの映画制作に、この先も協力して貰いたかったのだ。

彼女からはすでに映画化の口承諾は得ていた。

その上、尚、そのスクリプトを示すことまでして2重に承認を受ける必要はないはずだった。

仮に、彼女の物語が出版された商品だったとしたらどうだったのだろう、と考えてみる。

むしろ、作者から映画化許可さえ貰えば、それ以上の原作者への干渉は避けていたのかもしれない。

けれどそうするには彼女の物語は個的過ぎた。作品だとか、小説だとか、そんな意識がない、といみじくも彼女自身が言ったように。

もちろん彼女の物語は私小説的と言うには過剰な虚構を持っていた。しかし一方で幻想小説と呼ぶほど周到な仕掛けに満ちた世界描写に固執しているわけでもなかった。

英樹が言ったように、それは「ただ淡々と記録された別の惑星の見聞録のようなもの」というのが一番近い気がした。

しかも物語は未完成だ。「ねじ巻人形」は、何者で、どこから生まれて、どこに向かうのか、それは寓話の流れというよりも彼女が経験した「何ごとか」の反映であり「何かの影のようなもの」としか呼び様のないものに思われた。

だから、それは僕たちだけでは解くことのできない謎のようなのものだ。迂闊に答えを与えてしまったら、とたんに陳腐な人魚姫物語のようなものになってしまうだろう。

それにしても、と、僕は湯気を上げている古い釜炊型の浴槽に身体を沈めながら考えた。

この先も彼女を平和的に映画製作に引き込めるうまい手立てはないものだろうか。

そこに誤解や偏見があるのならなんとか修正する方法はないものか。

このままでは彼女は東京に帰り、ここであった事など忘れてしまおうとするに違いない。人間になった後のねじ巻き人形のように。