依子(1)−12
「あなたの行動は、軍規を違反した疑いがあります」
突然、視界全体の光量が落ちた。
下の曲がり角まで見とされていたスロープも、暗いトンネルの入り口のように闇に飲み込まれた。
「グレープシティより強制的にログアウトされます」
両手の先には急に拳銃の重さがのしかかってきた。
重い。
両手で支えきれないほどだ。
そのせいで、支える両手がぶるぶると震えだした。
支えきれす、つい、ぐらり、と下を向いた銃先にあわせて、何を勘違いしたのか、ひっ、と白シャツの男の悲鳴が響いた。
男の怯える視線が、懇願するかのように、依子の目を覗き込んでいた。暗がりの中でもその気配だけは感じることが出来た。
私は何をしているのだろう。
目の前で怯えている男。
その男に拳銃を突きつけている自分。
依子は、この状況に、再び放り出されていた。
私は何をしているの?考えなければ。
必死だった。
どうすればいいの。
こんな時には。
とにかく、この男を追い払わなければ・・・考えなければ。
どうすればいいの。なんて言えば・・・
鼻の奥のほうににつんと苦味がはしり、目には涙がうかんできた。
これは夢かなにかに違いない。そうだとしても、こんなことには適応できそうにない。もはや一刻も拳銃を構えて男の前に立っていることなどできない。
どうすればいいの。
意を決して、言葉を口から絞り出す。声は震えている。
「このまま下って、出て行きなさい。妙な真似をしないで。この銃があなたの心臓を狙っていることを思い出すのよ」
そのセリフは、実は、昼間に読んだ従兄の元幸の小説に出てきた文句だった。
頭の中に必死で再生した小説の文章を、棒読みしただけのセリフだった。
けれど、それで、目の前の男は、ほっとしたような目をして、四つん這いのまま、スロープを虫のように下って行った。足腰が立たないのかもしれない。
とにかく、そんな男が去る姿を見て、なによりも安堵したのは依子自身だった。
その依子の背後から、今度は、カタカタと音がした。
振り返ると、先ほどの大きな鼠だ。
大きな目をクリクリとさせながら、キーキーと鳴いていた。依子に向かって何かを訴えかけているかのようだった。
私に話しかけようとしているのだろうか。
まさか。しかし、さっきはこの鼠の声を確かに聞いていたのではなかったのか。「しゃべる鼠」なんて。今となっては、まるで実感がない。
夢から自分はゆっくりと覚めようとしているのだろうか。