映画の製作(1) 原作交渉(1)

パスケースの生徒手帳の学校名には「立川高校」とあった。定期は「国立〜立川」間だった。

「目白」という性はこちらでは聞きなじみがなかったから、地元出身ではないのだろうとは思ってはいた。

同級生を装いその手帳に記載された自宅に電話してみると、落ち着いた母親らしき声の主が「依子ならば連休中には山梨の親戚に遊びに行っている」と言う。

実は連休明けまでに準備して学校に提出する予定のクラス配布物に関して、ちょっとした変更があるので直接電話して伝えておきたいのです。差支えなかったら電話連絡先を教えていただけませんか。

同じクラスの連絡係だと名乗った上で僕がそう聞くと、母親らしき声の主は、山梨の勝沼町にある「矢島」という家でやっかいになっているから、と言い、そちらの電話番号も丁寧な口調で教えてくれた。

僕はお礼を言って電話を切った。

良心が痛んだが僕の頬はそれ以上に痛んでいた。そのためか、実に堂々としたいい演技だった。

それにしても、勝沼町の「矢島」と言えばウチの高校の女子バスケ部の部長じゃないか。生徒会の副会長。矢島幸恵。

僕と英樹は顔を見合わせた。


待ち合わせの場所は勝沼駅前の喫茶店だった。

軽食屋も兼ねている店で、店先には丸テーブルにパラソルがついた席が3つばかり並んでいる庭がついているような店だ。

連休の勝沼駅前は観光客が行き交い活気に満ちていた。駅舎に沿った桜並木はとうに散ってしまっていたが、晴れた駅前広場からは南アルプス八ヶ岳までもが一望できるのだ。
5月の朝の陽光を受けて、出発準備のための観光バスが駅前のロータリーで車体を回していた。


矢島幸恵と目白依子は、その店先のテーブル席に座り僕たちが到着するのを待っていた。多分こちらが待たされるのを覚悟していたので意外だった。

矢島幸恵は薄いピンク色のスタジアムジャンパーを着ていて、僕たちの姿を見つけるとポニーテールの頭を揺らしながら片手を上げた。
目白依子は昨日と同じ地味な白いシャツだったが、赤茶色のチェック柄のハーフコートを着ていて、背中を丸めるような姿勢で隣に座っていた。

僕たちは彼女の前の席についた。

「私と同じ高校の高間真一君、栗本英樹君。」僕たちは順番にうなずくように頭を下げた。

「真一君、英樹君、こちらは私の従妹の目白依子さん。」目白依子は、眼を伏せたままひとつ丁寧に頭を下げた。

何か妙な雰囲気だった。僕は矢島幸恵に電話でフルネームまで名乗っていたのだろうか、とぼんやり考えていた。それがよっぽどぼんやりした顔をしていたのだろう。
矢島幸恵が、僕の表情に浮かんだ疑問に答えるように補足した。
「アナタたちはアナタたちが思っている以上に有名人なのよ、特にウチの女子の間では。」

矢島幸恵は噛んで含めるように、そう言って、僕達に2、3回深くうなずいて見せた。

「まさか。」

何かの罠だろうか。

すると天啓を与える予言者のような調子で矢島幸恵は僕を指差した。

僕は少し身を引いた。

「高間真一君。あなたは都留文大に1つ年上の彼女がいる。背の高い美人の。彼女は大学の演劇部に所属している。」

そう告げた。

「栗本英樹君。あなたはいつも図書館の東側の机で窓から2つ目の椅子に座っている。」

その言葉を聞いて隣で英樹も身体を硬直させているのが分かった。

「連休中に借りた本は、"映画と精神分析"クリスチャン・メッツ著。・・・わかったでしょう。さあ!」

さあ!、この際だから全て告白してしまいなさい、あなたたちの原罪を。私は全てお見通しなのよ。

僕達にそう言ったのかと思ったが、彼女が促したのは隣の目白依子だった。

目白依子は立ち上がり深々と頭を下げた。

「原稿も調べました。あなたたちが言うとおり土や草や湿った花粉がついていたわ。」

「拾い集めてくれた方たちに、私は暴力をふるってしまいました。ごめんなさい。」

僕たちはがっくりと頭を垂れた彼女の頭の頂点を再び観察した。
当たり前だがそれは昨日バス停留所の待合室で見たものとまったく同じだった。

それから頭を上げると彼女は静かに腰を下ろした。

英樹がパスケースをテーブルの上に置いた。

目白依子は片手を差し出してそれをコートのポケットにおさめた。

それで彼女の肩から少し力が抜けていくのが分かった。

「さて、それじゃあ、映画の話なのだけど」僕は思い切って切り出した。「電話でも話した通り、僕達はあの話を8ミリで映画化したいと思っている。」

だが、目白依子は依然として目を伏せたままだった。