依子(2) 捜査(13)

ドアはインターホンのカメラに顔を向ければ顔認証キーで自動的に解錠されます。
加瀬由香里は玄関に二人の探偵を通しながら説明した。
玄関に入るとかすかに消毒薬の匂いがした。

顔認証が登録されているのは、私が知っているだけで、先生と旦那さん、先生の介護を担当されていたヘルパーの柏木さんという方と、そして私です。
顔認証は両手がふさがっている場合にとても便利なのです。顔をかざすだけで開けてくれるので。
先生は車椅子で移動することもありましたし、介護の柏木さんも、私も、よく器具や書類を両手に抱えて行き来していましたので登録してもらっていました。
ICカードと普通のカギは先生と旦那さんがそれぞれ持っていました。

玄関で靴を脱ぎ、2つのドアが並んだ廊下を進むと、手前にキッチン、その向こう側に広いリビングルームが位置していた。

加瀬が先に進み、そのリビングをL字型に囲む窓のカーテンを開けて回ると、リビングルームがは一瞬にして5月の海と空に囲まれた。

まるで、中空の飛行船の一室のようだった。

持倉が思わずため息を漏らすと、加瀬は振り返り少し微笑んだ。

素敵でしょう。

ここが先生の最後に過ごされた部屋です。

リビングの中央には大きな看護用のベッドが置かれていた。ベッドは窓に向き、わすかに背もたれを上げて湾曲しており、そこに寝ているものが窓の外を眺められるようになっている。
そのベッドの脇には医療機器の並んだテーブルと車椅子が畳んで置かれていた。

持倉はベッドの周囲を一度見まわし、そこをL字に囲んだ海と空を眺めた。

なるほど、これはまさにオーシャンビューですね。こちらからは東京の町は見えないのですね。そう言いながら、目白依子に視線を送ると、依子も軽くうなずいた。



ところで、盗まれたというフィルムはどこに保管されていたのでしょうか?

ああ、それならこちらです。加瀬は、もう一度廊下に戻ると、キッチンの手前側のドアを開いた。

ここは6畳ほどの洋間になっています。
部屋の手前にはクローゼット、奥には、本棚と、仕事関係の資料置き場になっていました。

その部屋の電灯をつけると、部屋の奥にはやはり海を見渡せる小窓がついていたが厚手のカーテンが光を遮断していた。

加瀬に続いて2人が部屋に入ると、ひんやりとした空気が三人を包んだ。

この部屋は特別に空調が低く設定してあるんです。
フィルムは、そこの幅の広い引き出し収納ケースに入っていました。
直径80cmぐらいの保管用リールに巻かれて、引き出しの上から6棚分がすべてフィルムでした。
1巻づつおさめてありました。全部で6巻あったのだと思います。かなりの量でした。
でも2時間の映画となるとそのぐらいの量が普通だと聞いています。

持倉が先に進み、収納ケースの前に立ち上から順に引き出しを開けてみると、その中にはなにも入っていなかった。
上から6棚分きれいに空になっている。

この中にフィルムが入っていたんですね。確かですね。

加瀬はうなづいた。
先生がいよいよこの部屋で最後の数日を過ごすことに決まってから一度この部屋の整理をしたんです。
もう1年ぐらい前かしら。
その時にはこの部屋ももっと乱雑だったのですが、その棚の中にはフィルムが確かに入っていました。
私も整理を手伝いにお邪魔していましたからよく覚えています。

持倉は空の棚を閉めるともう一度部屋を振り返って見まわした。まるきり光のない暗室のような部屋だった。

依子は壁の一点を凝視していた。

そこには一枚の写真が飾られていた。

写真には、田舎の、舗装もされてないような砂利道を、二人の人影が歩いている姿がうつされていた。

一人は男、もう一人は小さな女だった。二人とも浮浪者のようなみすぼらしい服を着ている。

なにかの映画のワンシーンですか。

持倉もその写真を覗き込んだ。この暗室のような部屋に写真を飾るなんて妙ですね。

ずいぶん古い。チャップリンの映画かな。

「道」です。と、加瀬が背後で答えた。

イタリア映画です。フェデリコ・フェリーニ監督の「道」という映画だそうです。