依子(3)−3

駐屯地司令勤務隊舎に向かう道には、ビニール製のトンネル型屋外通路が臨時に設営されていて、
そこに入ると依子たちは防護用のマスクを顔からは外すことができた。
ストームの隊員たちが皆防護装備を外して、顔を出すと、案内役の自衛官達ははちょっと驚いたような顔をした。
隊長のマギー・フィッツジェラルド中尉をはじめとして、隊員7人のうち6名が女性だったからだ。
副隊長のイラン・ラーモン少尉は、唯一人の男性だった。しかし彼は装備の技術担当が専門であり、ストームはつけていない。

脳内対話能力は女性のほうが圧倒的に優秀な能力を発揮していた。この特徴は研究段階から明らかだった。その原因についてはいろいろな説があった。
女性のほうが一般的に脳幹が発達しているため、というのが有力だったが、ともかく女性隊員を中心に実用化がすすめられ、実戦にも配備されていった。

「[ストームはそのままにしておけ」マギー中尉の命令が(脳内に)下った。
隊員達の間からは、せっかくの室内で、このやっかいな頭のストッキンングをこのままつけているのかとため息が漏れた。

古い旧建屋に入ると、廊下には明かりがついていた。

非常時にそなえて明かりを落として節電しています、足元に気をつけて下さい。
案内をする上村の言葉に、「今が非常時だという認識はないのか?」とちょっと皮肉まじりに(脳内に)サラ隊員が呟いた。
依子は思わず足を止めた。これには彼女の悪い癖だと知りながらも、サラを振り返った。
その瞬間、「だまれ、サラ。非常時は戦闘時の意味だ」と、すかさずマギーからの叱咤が隊員達全員に飛んだ。
サラはちょっと肩をすくめてみせた。あえて全員に伝えたのは私へのの配慮もあるのかと依子はちょっと嬉しくなったが、マギーのほうは上村を追いこさんばかりの早足で先に進んでいた。

やがて、旧建屋を抜けると、ドーム型の新建屋への入り口が見えてきた。

駐屯地でのストーム隊員達の最初の仕事は、わずか数秒で終わった。

ドーム型新建屋に入ると、中央に設置されている通信機械室に行き、その中に並んだサーバの1台へラーモン少尉がメモリカードを差し込んだ。
それで終わりだった。
やがてサーバ用モニタに自動リセットメッセージが出て、再起動されると、これで陸上自衛隊駒門駐屯地の全指令・通信機能はすべて米軍の管制下に置かれたのだった。
もっとも、自衛隊のマイクロ回線はレーダ毎破壊されており、専門技師も修理部品も調達できない現状では、独自での復旧は絶望的だった。
航空機からの非常無線か、それこそ手旗信号でも使う他は手はなかった。
しかしこれで米軍の管制下に置くことで、ポッド経由の米軍軍事衛星で通信が可能になるはずだった。

サーバのハードウエアが更新されているな。
作業中にラーモンが呟いた。
それは作業を補佐していた依子もきづいていた。
本体のメーカのマークが、おなじみのスリーダイヤマークではなかった。
「π」のような記号がついている。
依子はちょっと息を飲んだ。
それは、「K」を右90度回転したロゴマークだった。
そして依子が高校時代に過ごした場所で、よく目にしたマークだった。

依子の頭にそのメーカの説明が響いた。

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「栗本重工株式会社
 主力製品は、船舶・エネルギー関連機器・産業用ロボット・生体兵器製造
1964年(昭和39年) - 栗本米蔵が前身である栗本産業を山梨県甲府市に創設
1974年 (昭和49年) - 工作機械用ロボット製造部門を中心に、栗本重工株式会社として正式独立。
           山梨県忍野村に本社工場を設立
1986年(昭和61年) - 基盤技術研究所設立
2003年(平成15年) - 本社を東京・品川に移転・・・」

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依子達が、中2階の緊急会議室に上ると、狭い部屋には先ほどの上村はじめ、駐屯地に残っていた幹部がそろっていた。

国際活動隊、第1機甲隊、第1戦車大隊、第1高射特科大隊・・・それぞれの大隊代表らしい。

駐屯地の全隊員は、総勢800名を超える数だったが、今残っているのは、その3分の1以下の250名程度だ。
そのほとんどが東海地震災害派遣で出動していたためだった。
陸の孤島となった駐屯地だったが、富士噴火による人的被害はわずか10名程度の重軽傷者のみで済んでいた。
ここは戦闘状態を前提にした基地なのだ。それは当たり前と言えば当たり前だったが。

やがて、緊急会議室の大型スクリーンに人物が投影された。

背後には日の丸が掲げられており、机に座って落ち着いた面持ちで話し始めた。

東部方面総監、雨宮陸将。

「雨宮です。無事でなによりだった」
さすがに、この瞬間には、会議室にもわずかなどよめきが起こった。
画面の画像は大きく乱れていた。
これは、依子たちのストーム用回線を使っての衛星放送だった。
米軍側専用回線だ。
噴火が激しくなると電磁波も乱れた。

「上村隊長、御苦労だった。他の皆も」
上村は思わず敬礼をしていた。

「そちらの様子は、マギー中尉からも聞いた。この状況下で、ここまで皆が冷静に対処されたことを誇りに思う」
「だが現状はまだまだ我が国は瀬戸際の状態にあるのだ。
 このような状況となったことを「よし」としない者もいるだろうが、今は手を差し伸べてくれる友人たちに素直に従うべきなのだ。
 これはわが隊、総司令部の総意である。
 我々がこの状況で潰れてしまっては、この国の危機に立ち向かう者がいなくなってしまうことを忘れるな。
 この災害で困頓し、いたずらに時を稼ぐな。
 常に国際社会が、我が国のこのような状況を注目していることを頭に置いて行動しなければならない。」

少し間をおいた。

「まだ、これから先に、いくらでも諸君の全力をあすかる機会があるだろう。くれぐれも冷静に対処してほしい」

画面の雨宮は立ち上がり、敬礼した。

「では、今回の作戦の説明に移ります」

画面が切り替わった。眼鏡をかけた若い男が現れた。
「横田の共同運用から、日下です、よろしく。マギー中尉、ご苦労様です」
眼鏡をずり上げながらせかせかを喋る。
日下国際活動隊隊長。

「オタク」と(脳内)でサラが言った。これには依子もあえて何も反応しなかった。

「作戦は先の航空機無線回線で伝えた通りです。
 大まかな変更はありません。
 念のため確認します。」

画面に日本地図が出る。東京から大阪までの地域が拡大される。

「えー、まず太平洋側の状況です。」

画面の日本地図で、下側の海岸線が黄色く表示された。

東海地方は余震もまだ続いてます。
避難民の状況も、ひどい。
仮設住宅建設の目途さえついてない状況です。道路は復旧している部分もありますが、特に東名高速で流された車の処理に手を焼いてます。
やっと人が通れる程度の復旧道路が何箇所かまだあります。
現時点で、すでに避難所生活で疲れ切って、地元自治体、消防庁、民間ではとても手が回りません。
今朝、500時、日の出を待って、米軍空母より海兵隊1個中隊が小田原から上陸します。
東海側で待機している自衛隊第一師団の災害派遣隊と合流し、関西方面との通信設備設営のための行動です。
しかし設備用電源そのものの確保もおぼつかない状況です。
これから人海戦術ですが、通信設備作業はかなり難航しそうです。

「変わって日本海側の状況です。」

今度は、画面の日本地図で、上側の海岸線が黄色く表示された。

現在、難民キャンプ、というか、もはや難民村ですな。こちらの暴動はほぼ制圧されています。
ただ、1週間前からまた隊設営地への放火事件が頻発しています。
警察組織もかなりの被害を受けています。
とにかく日本海側は、難民の暴動問題解決に力を入れることが一番となっていますが、下手にこちらが動くと、かえって拡散するばかりの状況です。
海の向こうからも、北からも、いろいろ注意するべき情報が入っています
なので、通信設備の設営は、やはり地元自治体、消防庁、民間マターでなんとか整備してもらうしかない状況です。これらを効率よく連携を取るのが難しい。
こちらは、震災の被害が少ないためと、地方自治体による災害対策本部が今のところ無事であることが救いではあります。

太平洋側、日本海側、ともに通信設備の復旧には、1,2週間程度の時間がかかるものと思います。
いずれも、もちろん非常用通信回線設備を優先に確保する計画です。
どちらも民間レベルの通信設備復旧となると、1,2週間でも問題です。

さて、そこで、

この「第三案」となります。

画面の日本地図で、中央にまっすぐに赤い線が引かれた。

それは、東京、山梨県甲府南アルプスを貫いて、中津川から、名古屋、大阪までを結んでいる。

これが、私たちが今から復旧しようとしている日本列島縦断通信経路です。

皆さん、ご存知の通り、3年後に正式運用を予定していました。

リニア中央新幹線路」です。

東京から南アルプスまでほとんど地下トンネルです。震災の影響を考慮した施工だったため、かなり被害が少ない。
もちろん、リニアモーターカーを走らせることは不可能ですがね。
ただし、トンネル設備の天井側には民間電話会社により光ファイバー網が敷設されています。
これが使用可能になれば、東京から大阪間の通信手段として非常に大きな利用価値となることは間違いないでしょう。
ただし、大きな断線箇所が3か所あります。
東京駅、甲府南駅、名古屋駅
東京駅は津波の浸水でほぼ壊滅状態ですが、光ファイバー網自体は高所に設置されていたため復旧工事のめども立っています。
関東以北の全隊が懸命に作業中です。
名古屋以南は、地上設備のため、復旧工事は比較的容易です。
まぁ、そちらに比較すれば、というレベルですが。

そして、これが問題の目的地。

震災と、富士噴火の影響をもろに受けてしまっていますが。

地図がさらに拡大された。

そちらの駐屯地から、富士を迂回して、その先にある。

甲府南駅」です。

地図が、衛星写真に切り替わった。

上空から灰で埋もれた町が映し出された。

「まるで月面基地ね」と、サラが呟いた。