依子(2)−1

目白依子の顔は小さく、ちょっと子供のようなふくれたような頬をしていた。年齢は46歳だった。
髪型は、ほとんどの場合ショートボブで、今まで髪の色を染めたこともなかったが髪には白髪らしきものはなかった。
目は茶色で、光が反射すると、たまに緑色に輝くことがあった。
口元には皺があり、そのせいで疲れているような顔にも見えたが、それを気にしたこともなかった。

電話が鳴った。
依子が受話器を耳につけると、電話の向こうの声が尋ねた。

白石探偵事務所の目白依子様でいらっしゃいますか?

そうです、と依子は答えた。

依子様は、・・・つまり、こちらの依子様のことですが。

ひと呼吸間があいた。

さきほど、お亡くなりになりました。

電話はそれだけ告げると一方的に切れた。


三日前のことだった。

場所は銀座で、午後2時だった。
その日は朝から小雨が降っていた。
地下鉄日比谷線銀座駅出口から、男女の2連れが出てきた。
男のほうは紺の背広を着ており、身長は160cm程度の小柄な体格だった。
男は少し背をかがめて歩く癖があった。
女は、やや男から遅れて後ろを歩いていたので、男の部下のようにも見えたが、2人の年齢はほぼ同じくらいだった。

女は目白依子だった。
男は依子の同僚で、名前を持倉と言った。
傘もささすに歩いていたが、この2人連れが周囲の関心を引くことはなかった。
2人は、やがて三越デパートの裏通りにある8階建てのオフィスビルに入って行った。
そしてそのビルの5階で狭いエレベータを降りると、ハンカチで雨に濡れた衣類と顔をぬぐった。

その場で1人の黒い背広を着た年配の男が待っていた。

高間と言います、とそれだけ名乗ると、高間は、2人を、その階のあるドアの前まで案内した。
そこで脇にどき、2人に道を開けた。

持倉が、ドアを開けようと、先に進み出ると、高間は軽く片手をあげて彼の行く手を制した。

申し訳ありませんが、中には依子様お一人だけに来てほしいということです。

持倉の眉間に戸惑うような皺がよった。
そんな、と言う彼のアクセントには少し関西なまりがあった。

ここで待っていて。

依子が言い、持倉と入れ替わって、ドアを開けた。依子は中に入った。

持倉は高間とともにドアの前に残された。

依子が入っていくと、部屋の窓にはカーテンがかかっており、真っ暗になっていた。
わすかに非常灯の明かりで部屋の大きさを測るしかなった。
依子の手が自然にドアの横のスイッチに手が伸びたが、
明かりはつけないで下さい。
という女の声がした。
まるで放送用のマイクを通したような声だった。
つづけて、カチンという機械音がした。

ぼんやりと四角い白い空間が目の前に開いた。
プロジェクターからの投影画面だった。
目の前には、50インチほどのスクリーンがあった。
画面の中に、一人の女性が座っていた。
その女性は、頭の上からつま先まで、真っ白に見えた。
頭髪は剃られたのか白い頭巾がかぶされていた。
衣服は白衣のようだ。
ひどく痩せていた。
大きな目の周りだけが、赤く、熱っぽく腫れあがっていた。
目は霞がかかったような鈍い光しか反射しないように見えた。
プロジェクターの中の部屋は、病室のように見えた。

はじめまして。依子さん。
わたしをご存知ですか。

知っている、と依子は答えた。
ねじ巻依子さん、ですね。
映画に出てらっしゃる。何本かは見たこともあります。

プロジェクターの中の女性が、それを聞いてうなずいた。

こんな形でごめんなさい。

でも、直接お会いすることはできないのです。
この病気のせいです。

画面の中の依子はそう言うと、少しうなだれた。
呼吸が乱れていた。
しばらく呼吸が整うまで時間がかかった。

癌なのです。
もう長くはありません。

その話は依子も知っていた。週刊誌の記事やTVで。もう末期のはずだった。

お願いがあります。
調査の依頼です。

画面の中心がわずかにずれた。
カメラがすこし動いたようだった。画面は傾いたまま映像を流していた。

私の、最初の映画をとり返してほしいの。
盗まれてしまったの。

また、少しうなだれた。呼吸が乱れていた。
振り絞るように声を出した。

私が死んだら、調査をはじめて下さい。
私が死んで、この映画が。
この世界がまだ続いていたら。
調査をはじめて。

その三日後に、彼女は死んだ。

依子は、その知らせを受けた受話器を置くと洗面所に入った。

洗面所で鏡をのぞくと、疲れたような自分の顔が映っていた。

世界はまだ続いていた。