依子(1)(2)

依子(1)

目がさめると、天井には竹竿のようなものがいくつもかかっていた。
なんて広い天井か。
依子は布団の中で目が覚めた。
体を起こそうとして、自分の上半身が思ったように動かないので、
あらためて手で布団をめくると
自分が浴衣を着ていることが分かった。

窓の朝日が障子にさしていた。
それで、ここにいる理由を思い出した。

部屋の隅にかかったカレンダーが目に入って、そこから元号は読み取ることができた。

「昭和」

急いで手順を反芻した。
なにか書くものを探した。
枕元に小さな箪笥がり、その上に万年筆が無造作に置かれている。

立ち上がると、軽いめまいがした。
つづいて、背中のほうからずっしりと重いものが降りてきた。
頭がぼんやりして、手を伸ばした先の万年筆が、まるで針のようにちじんで見えた。
背中のすぐ後ろに、迫るものがあった。
そのものに飲み込まれる寸前に、万年筆に手が届いた。
書くものを探している暇はなかった。
そのまま箪笥の上に思い切り筆先をつきたて、
力をふりしぼり、
箪笥の表に、

水晶の塔を探さなければならない、

と書いたつもりだったが、
筆先は折れ、それで、すべておしまいだった。


依子、おきたの? と年配の女性の声がした。

はい、と答え、自分は今、なにを見ていたのか、と訝った。

激しい痛みが右手にあった。
手を見ると、万年筆を握りしめ、その折れた筆先が手の甲を一本の線で切り裂いていた。
血がどくどくと流れ出ていた。

自分はいま、なにをしていたのだろう?




依子(2)

目が覚めると電車の中だった。
地下鉄。
目の前にはサラリーマン風の男が吊革をつかんだまま眠っている。
地下鉄にしては驚くほど静かな走行音だ。
揺れも少ない。

これほど静かな電車には私は乗ったことがない。

と、そこまで考えた時に、ここにいる理由を思い出した。

急いで手順を反芻した。
なにか書くものを探した。
だが、手には何も持っていない。

立ち上がった。

立ち上がったところで、電車の中ではなにもできやしない。

目の前のサラリーマンが、ぎょっとした顔で依子を凝視した。
そのまま、また、座るしかなかった。
どこにも行けないのだ。
まだちらちらと依子を観察している目の前の男の視線がうるさく、
黒いトンネルでふたをされた電車の窓に目をやった。

電車の窓の外に、見知らぬ女の顔があった。
じっと依子を見返していた。
ひどく疲れた、やつれた顔をしていた。
40代頃だろうか。

依子が頬の髪を払おうとすると、窓の外の女も、頬の髪をはらった。
両手で髪を整えると、窓の中の女も髪を整えた。

なるほど。
あれは自分なのだ。
この世界の自分。
ここは、自分がいた世界だ。
だったら自分は自分でいることはできない。

[二人の自分は存在できない。]

依子さん、つきましたよ。

突然、目の前のサラリーマンがそう声をかけてきた。
そして網棚の上からハンドバックをとり、依子にさしだした。

どうしたんです?
急に立ち上がったりして?

男はハンドバックをぐいと依子に差し出した。

知り合いだったのか。

依子は言われるままに男の差し出すハンドバックをとった。
そして、確信した。
自分は顔を失った。
だが、かわりに自分の記憶は失っていない。

私は自分の世界にいる。
水晶の塔を探さなければならない。

そして、あとの二人はどうしているだろう? と考えた。

特に,心配だったは、最後の依子だった。

映画は、3本作られていた。

過去

現代

未来

そして、3作目の依子は、未来の世界にいるはずだった。

葡萄の魔王とともに。