(はじまりの地)

僕たちが通ったジェルソの坂は、草むらの空き地に続いていた。
そこでぼくは、なんだかかっこをつけて煙草を吸っていたような気がする。

依子は、約束した時間通りに、夕暮れちかくに現れた。
背の高い草の茎を引き抜きながら。
原っぱの向こうには中央線の電車が青い車体を走らせていた。
別に何も話すこともないので黙っているだけだった。

やがて、夕暮れになると風が吹いて山の匂いを運んできた。
草の穂が、夕日に揺れて溶けていくような時間が訪れる。
依子は髪を無造作に後ろでまとめていて、後れ毛が夕日でたまに黄金に輝いていていた。

夏ももう中間地点を過ぎてしまったので、空の高いほうから、雲はちぎれていくのが見えた。

結局、夜になるまでに僕たちは駅に向かった。

電車を待つようなふりをしてホームで立っていたが、
僕たち二人が待っていたのは別のものだ。
何本か電車をやり過ごし、結局最終の電車まで待っていたが、栗本のほうは結局現れなかった。
最終の電車に僕たちは乗り込んだ。
いつもの最後尾の車両に。
最後尾の車両の窓から見える線路の平行線が、
銀色の2つの糸のように、
明るいホームから垂れているように見えた。

僕たちは無言で、その無現に後ろに伸びていく2本の平行な糸をじっと眺めていた。

高原の駅に着くと、駅の改札には風鈴がたくさんぶら下がっていて、
橙色の灯りに揺れているとまるで祭りの夜店のようだった。
駅のロータリーから、バスに乗った。
停留所でバスを降りると、そこは長いあぜ道の向こう側にポツンと街灯があるだけの
寂しい夜の田んぼ道だ。
街灯の隙間の闇の中を僕たちは無言ですすんだ。
空にはものすごい数の星があった。
蛙の鳴き声を聞きながら。
虫に刺されながら。
星をながめながら。

やがてその山が目の前に現れた。

大きなマントをまとって跪いた巨人のように、
山の中腹から頂上あたりまで、
登山者の松明だろうけど流れる血のように赤い筋があった。

あれはまるで葡萄の魔王ね、と、依子が言った。

葡萄の魔王で,名前はサミュエル、アダムが食べた葡萄の木を植えたのよ。

目的の谷底まで来ると、もう月明かりさえ届かない暗闇で、ぼくたちは用意していた懐中電灯で獣道をすすんだ。
そして、その場所についた。

水晶の塔だ。

それは巨大な筒型をしていた.
それほどの深い谷ではなかったけれど、
深夜の水晶の塔は、まるでジャングルの中にたつ巨大なテトラポットのようだった。

塔の入り口を探し当てると、依子は振り返り、神妙な声色で言った

来世で逢いましょう。