依子(2) 捜査(27)
女優の介護士「柏木和美」の住所は、高速からインターを降りて直ぐ近くの大きな川の畔に立っている木造2階建てのアパートだった。
アパートの裏には川の増水を抑えるための大きな調整池があり、その池の畔には平日の朝だというのに釣り人が数人立っているのが見えた。
依子はバイクをアパートの脇にとめると、まずポストの名前を確認した。
女優の介護士「柏木和美」の部屋だと教えられた1階の部屋の住人の名前は今ではまるきり別人の名前となっていた。
そのアパート住所は女優の付き人だった加瀬由香里から聞き出したものだ。
加瀬が以前に年始の挨拶状を出すために柏木から直接聞き出した住所だったが柏木からの挨拶状の返信は貰っていないという。
それなら最初からここに住んでいた保証もなかったのだが、依子には都心から離れたこの住所が妙に引っ掛かっていた。
依子がその部屋のドアの前に立つと、玄関脇の窓から、今日もよく晴れた気持のよい1日になるでしょう、と天気のニュースを読み上げるTVの声が微かに聞こえた。
依子は部屋のドア横に備え付けた呼び鈴スイッチを押した。
はあい、と間の抜けたような無防備な男の声が、これも玄関わきの窓から聞こえた。
続いて薄い板張りの玄関ドアが外側に大きく開くと背広姿の若い男が顔を出した。
依子の姿を見て怪訝な顔をした。
「どなたですか? おれ直ぐ出かけるんだけど。」ぼやくような低い声で、男はまだ20代の後半ぐらいに見えた。
依子はすばやく男の脇からその部屋の様子を伺った。
玄関わきの台所にはコンビニの袋が山のように積まれてい居る。奥に見える和室には不釣り合いなサイズの大きい液晶テレビがこちら向きにニュースを流していた。
典型的な若い独身の男の一人住まいに見えた。
依子は微笑して軽く頭を下げた。朝早くから失礼します。実は以前ここに住んでいた、とまで言うと、意外なことに若い男は、パッと顔を上げた。
「ああ、ああ!、前に来た関係の方ですか? ここの前の住人の方とやらの」と今度は1オクターブ高くなった声で答えた。
依子はその反応に少し戸惑ったが、その間に「そうそう」と言いながら、男はドアを開けたまま今度は勝手に部屋の奥に引き返してしまった。
依子は背後を振り返った。
以前にこの部屋を訪ねた者がおりこの若い男と取引したに違いなかった。若い男はかなりの謝礼を受け取った。
(柏木はやはりここに住んでいたのか?)
ここを訪ねた者は今朝あったばかりの軍人の仲間か。
それとも別の者だったのか。
いずれにしても、今現在も「この場所」は監視状態にある可能性が高いことになる。
そこまで考えると、つい背後を振り返ってしまったのだが、そこには調整池の土手へと続く遊歩道が続いているだけだった。
だが何かが変化してるように見えた。
直ぐに分かった。
先ほどの釣り人たちの姿が消えていた。