依子(1)−8  水晶の塔

その回廊を、テントの外壁に沿ってちょうど半周ぐらいすると、依子たちは広いフロアについた。そこには数人の子連れの先客たちがいて、ざわざわとしていた。

依子は少しほっとした。

フロアの造りは、なるほど映画館のものにそっくりだった。

かなり広くスペースがとっており、柵に覆われた、おおきな恐竜の模型が中央に置かれ、柵の周りには子供たちが群がっている。

フロアの、登ってきた「入口」とは、逆側のつき当たりに、「出口」と書かれたスロープの降り口が見えた。

「出口」は、今度は逆回りに半周、スロープを降りて、テントの裏側、ちょうどお祭り用の駐車場になっていた広場の方向へ出られるのだろう。

「出口」の脇には、やはり探検隊のようなヘルメットと迷彩服を着た小柄な女性がニコニコしながら立っていた。

それで、先ほどの妙な背広の男は、この出し物とは関係のないただの客だったのだろう、と依子は考えた。

しかし入り口側から先ほどの男が上げってくる気配はなかったが・・・

フロアの脇には、上映室への大きな扉が2つ並び、その扉をあけると前面には縦横3m程度の小型スクリーンが3面、横に並んで広がっていた。

そのスクリーンの前に観客席が並んでいる。

最前列から横に5つほどの座席が並び、それが4列ほどあった。定員20名ほどというところか。

ホントになんだか都内の古い名画座みたい・・。

フロアから上映室を覗く依子の横をすり抜けて、隆三はさっそく中央の恐竜の模型のほうへ走って行った。依子も後を追った。

恐竜はティラノザウルス・レックスで、その恐竜の背後には蘇鉄の巨大密生林が絵で描かれており、

恐竜は、自分の前に立った、ほぼ自分と同じ大きさの起立した大きな岩山を睨みつけていた。

その三角形の岩山は、上部中央の岩肌がはがれ、その剥がれた表面には透明な塊があるようだった。

よくできたリアルな恐竜の姿に夢中になっている隆三と一緒に、依子は恐竜に睨みつけらたその岩山の下からのぞく透明な塊に目を凝らした。

水晶のようだ。

「未来を覗くことができる「水晶の塔」とやらが。びびびーって。」幸恵の友人の言葉を思い出した。

これが「水晶の塔」ということなのかしら?・・・。

しかし恐竜のいる時代ならば「過去」だろう。

さては、「水晶の塔」は、過去も未来も覗くことが出来るタイムマシーンという設定なのかもしれない。

そのまま「水晶の岩石」の本体が置かれていれば、もっと目を引くだろうけど。もっとも、なにも本物の水晶を使うこともないのだから「岩山に覆われた水晶の塔」という、このデザインの根拠は、やっぱり依子にはよくわからなかった。

奇妙なことに、そのティラノザウルスを中心とした巨大なジオラマの周りにも何の解説らしいことも書かれていなかった。

やがて、学校のチャイムのような鐘の音がなり、「水晶の搭の上映を開始します」とアナウンスが響いた。

「上映室にお入りください。
 お子様は前方の大きな椅子にお座り下さい。
 大人の方には後方に席が用意してあります。
 お子様たちの席の上には、冒険のための魔法のヘルメットが置かれています。
 どうぞ、ヘルメットをかぶってご覧ください。」

依子と隆三は、ドアを開ける女性に案内されながら、フロアから上映室に入った。

アナウンスで指示された通り、隆三は、前の席のほうに駆けて行った。

最前列の真ん中あたりの席に座ると、その座席に用意されていたのだろう、銀色のフルフェイス形ヘルメットを頭からすっぽりとかぶり、後方の席に座った依子に手を降ふった。

まるで宇宙船にでも乗るかのような大仰なヘルメットだった。おまけにヘルメットの背後には、たくさんの電線チューブの配線がつながっており、座席に接続されてる。

前面の眼の部分には、赤と青の2色に分かれた眼鏡がはめ込まれているようだ。

子供たちに、その立体メガネをつけるための演出なのだろうが、ヘルメットの背後から座席に接続されているコードは本物のように見えた。

大人の席には簡単なサングラス型の立体眼鏡が置いてあるだけだった。

やがてジリジリと開演のベルが鳴った。

上映室が、少しずつ暗くなり、カラカラと背後で、フィルムの回る音が聞こえてきた。

前方の3面のスクリーンの中央に、「栗本興業株式会社 提供」と大きな文字が表れた。

依子も、こちらのローカルTV放送で聞いたことのある栗本興業のテーマミュージックが流れた。

「先進の技術と、確かな絆で、明るい未来を切り開く。 栗本興業が提供します」

その時、ガタリ、と依子の席の下で音がした。

なんだろう?と依子は座席の下を覗き込んだ。

財布でも落としたのかな。

依子の席は最後列で、大人の席が横に5つ並んでいる。

依子はちょうど左端に居て、隣の席には誰もいないので身をかがめて座席の下を覗き込むことができた。

その覗きこんだ座席の下の暗闇に、何か小さな黒い溜りが居た。

猫?

黒い塊の目が2つ光っていた。依子を見ていた。

「依子、僕が分かるか?」

頭の中に「声」が響いた。

「依子、ここは危険だ。はやく外へ」

黒い塊が動いた。

長い尻尾を引きづりながら、ゆっくりと依子に一歩近づいた。

「ぼくが分かるか?」

と、その「鼠」が言った。

依子は驚いて、あわてて身を起こし、席に座りなおした。

まっすぐに見た中央の画面には、今、星空が映っており、やがて地球の姿が画面の下に現れた。

「その水晶の塔は、何万年、何億年の昔から、地球にやってきたのです」

画面が地上に切り替わる。

画面には、夜の砂漠の上に聳え立つ、巨大な光の柱が立っていた。

「これが、未来を覗くことができる「水晶の塔」です」続いて、ガタンと大きな足音がすると、3面のスクリーン全体に映像が広がった。

左の画面には、暗闇のジャングルが広がり、その密生林の隙間からティラノザウルスが表れて中央の塔を睨みつけていた。

右の画面には、大きな山があった。天の川のような銀河の夜空を背景に、山は黒い背中を見せていたが、やがて頂上からマグマの赤い筋が流れてきた。

それは流れる血のように見えた。山は轟音とともに噴火を開始した。

右側の画面からは、噴火口から噴き出した岩石と、左側の画面からは、迫る恐竜の顔面の牙が、観客を挟み込むように同時に飛び出すと、観客席からは大きな歓声が上がった。

依子の前に、「水晶の塔」の入り口が迫っていた。

入口は、きらきらと輝く搭の根元にあり、原始時代の岩山の住居のような穴があいていた。その穴の内側にスロープのような坂が見えた。

違う。

あれは偽物だ。

偽物の水晶の塔だ。

「タカマくん」と、依子は呟いた。

「高間君、ここはどこ?」

「しーっ、静かに。さぁ、脱出しよう」

「鼠」は、今は、依子の足もとに居た。

「さあ」

「鼠」の声は依子の頭の中に直接響いた。

「ここは、2つ目の映画だ。依子、覚えているか?」

依子はこっそり立体眼鏡を外して体をふせたまま、床の先を行く「鼠」の後を追った。

「ねじ巻依子が人間に戻って、やってきた「最初の町」だ。」

行く手にはドアがあった。

「奴らが襲ってくる町だ。いづれ大変なことになる」

依子は静かにドアを開けた。ドアは重かった。しかしゆっくりと開いた。

リュウちゃんが」

と依子は上映室を振り返った。

「わかっている。先に行け。ぼくがなんとかする」

「鼠」は答えた。

依子はドアの外に出た。

フロアは静まりかえっていた。だれも居ないようだ。

中央の恐竜の模型が、今は、依子を見ているように見えた。

依子は「出口」と書かれたスロープの降り口に向かった。

出口のスロープには大きな鏡があった。薄明かりの中で、鏡に依子の姿が映っていた。

「これが私」

鏡の向こうには少女が立っていた。

身長は165cmぐらいだろう。中肉中背の体にはこれと言って特徴がない。

地味な白いワイシャツの上に、襟にフリルのついたカーディガンを着ていた。

だぼだぼの大きめのブルーのシーパンに、バスケットシューズのようなスニーカを履いている。

髪は短く肩のあたりで切りそろえられて、子供のようにふくれたような頬をしていた。

どこにでもいる普段着の女子高生のように見えた。

しかし、今、依子の目は緑色に輝いて、それはまるで暗闇の中の猫の目のようだった。

依子は静かにスロープを下った。

下りの壁には、人類の進化の様子が描かれていた。