依子(2) 捜査(22) 8mm版について語られたこと
8mm版の映画には、その女の子の他にも、監督の高間君も、その栗本の御曹司も出演していました。
これも当時の学生映画では定番のスタイルでしたね。
何しろ役者さんを雇える訳ではないから自分たちでメーキャップして役者も兼ねて出演するんだよ。
高間君は「大富豪の鼠」役、その他の脇役もやっていた。
栗本君は「葡萄の魔王」役、だったね。あとキャメラも栗本君が担当だったか・・・。
まあ主役の女の子と合わせると3人しか出演者もいないのだから、皆、スタッフ。つまり、監督、キャメラマン、ライターであり、出演者でもあるわけ。
考えてみれば、皆、チャップリンであり、オーソン・ウェルズであり、イーストウッドな訳です。
こんなことは、8mm映画ならではでしょう。
われわれからすれば、言葉が悪いけど、まあ学生のお遊びなんだがね。それでいて当時の学生達の8mm映画って独特の魅力があった。
それは娯楽として魅せる映画の魅力ではないかもしれません。
なにか語られる物語と同時に、彼らの生態、生活も、その時代のゆらぎみたいなものを覗いて見てるようなドキュメンタリー性がある。
それに、見ているこちらも、誰でも若い頃があるから。
彼らの何気ない仕草や空気が、フィルムで生で切り取られて、今そこにあるという緊迫感、臨場感、今風にいえば「ドキドキ感」がね。あるんですよ。
そんなところも含めて、8mm映画版の「ねじ巻依子の冒険」は非常にリリカルで瑞々しい作品でした。
劇場用映画の冒頭のプロローグ部分に、その8mm映画のフィルムをそのまま使うというアイディアは高間君が出してきたんですね。
ただし、これは下手をすると、その8mm映画表現と、中味のプロが作った劇場版本編とで、ひどく差が出るんじゃないか。
お互いのいい部分を打ち消しあって、ひどい結果にならないか非常に心配でした。
でも、まあやってみて、うまくいかなかったら、それは後で編集すりゃいいや、みたいなノリで。
ひとつやってみよう、ということになった。
それで、劇場版のねじ巻依子の誕生部分は8mm映画のフィルムをそのまま移植したんです。
ところが、今のように8mmフィルムをデジタル処理する設備も当時はなくてねえ。
そのまま35mmに転写しても画質が粗くなるばかりで見れたものじゃない。
いろいろ考えた末、8mmのフィルムをスチール写真のように現像して。スチールに加工できるんですね。8mmはフィルムだから現像も出来るんだよ。
それをまた35mmフィルムで一枚一枚コマ撮りして、アニメーションみたいに35mmの映画に組み込んだんです。
これでとてもうまくいった。8mmフィルムの独特の手作りのような質感と絵が、そのまま35mmで見事に再現できた。
そして、そのプロローグ部分には童話的な語り口でナレーションをつけた。これもうまかったね。高間君、うまいなあ、と思ったのを今でも覚えています。
だから、あの映画では、オリジナルのねじ巻依子と劇場版のねじ巻依子が共演しているんです。
それと、8mm映画版には独特の造形の「水晶の塔」が出てくる。これもまた非常に魅力的なオブジェだった。ねじ巻依子が人間に変えられる魔王の魔術が施されるシーンだったね。
35mmでも再現したセットを作ったけれど・・・・8mm映画版の、まさに今そこにあるような、リアルな感じにはかなわなかったなぁ。
魔王の部屋なんて。御神輿のようなテーブルが中央にあってね。
三面鏡のようなスクリーンが背後に並んでいる。
天井からは、シャンデリアのような、葡萄の房のような、水晶の球を重ねたような結晶が、垂れ下がっているんです。
あれは素晴らしいセットでした。どうやって作って、どこで撮ったのかね。
高間君に聞いても、企業秘密です、なんて笑ってたけど。
でもまさかその8mmフィルムの中に、実物の栗本米蔵の洋間までも映り込んでるのなんて気にもしなかったね。
確か「大富豪の鼠」の部屋だったかね。部屋の壁に油の大層な肖像画までかかっててさ。悪趣味な油でさ。
「葡萄の魔王の肖像画さ」なんて8mm映画の中でも言われててね、まあ魔王役の栗本君に当然顔も似ているから、なるほど、なんて思っただけで。
それが本物の実業家の爺さんだった、なんて考えてもみませんでしたよ。それだけでねえ。
やれ名誉棄損だ、上映中止だって、大騒ぎになってしまって。
まったくひどい話でしたね。
依子がPCを閉じて時計を見ると、もう1時を回っていた。